僕のヘルニア日記 -3章 夜間救急搬送-
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僕のヘルニア日記 -2章 ヘルニアの疑い- - Positive Mental Attitude
夜間救急搬送
11/6(火)
息子が大腿骨の骨折で入院することになった。仕事が終わってからお見舞いに行き、帰っていつも通りのうつぶせ寝で就寝。
夜中の3時ごろ痛みで目が覚める。一度立ち上がり痛み止めを飲みに行こうとしたところで、腰に激痛が走る。
明らかにこれまでとは違う痛みだ。少しでも動こうとすると経験したことのない激痛が走る。とにかく1mmも動けない。いつものように楽な体勢があるはずだと思い、必死で探すがどの体勢でも激痛が走る。
格闘すること30分。額からは冷や汗、手は震え、足は痙攣し、痛みで意識が朦朧とし出した。そんな中、痛みで気を失う時はきっとこんな感じなんだろうと冷静な自分もいた。
よりによって、嫁と子供は入院中で家には自分1人である。このままでは誰も助けに来てはくれない。救急車が頭によぎる。でも自分で救急車を呼ぶのはどこか気が引ける。
そんなことを考えている時にふとあることに気づく。
玄関が施錠されているし、スライドロックもかかっているじゃないか。ということは救急車を呼んでも救急隊は中に入れない。どうすればいいのか。調べるとそういう場合はレスキューが出動し、ロックを壊すらしい。それは困る。
ここは親に頼るしかない。ということで母親に電話。すぐに迎えにきてくれと頼む。この時点で激痛発生から1時間が経過し、既に4時になってた。
親が来るまでの30分の間に、1階の玄関まで辿り着かなければいけない。1mm動くだけでも声にならないうめき声が漏れる中、決死の覚悟で階段を降りる。一段降りるごとにこの世の痛みとは思えない激痛が走る。背骨の神経に太い針を刺されているようだ。意識が朦朧としながらもなんとか玄関に到達する。スライドロックと鍵を開け、その場に倒れこむ。冷や汗が尋常じゃない。
そこで待つこと数分、やっと母親が到着。
再び覚悟を決め、倒れこむように車に乗り込む。
すぐに息子が入院している市民病院へ行ってくれと頼む。
通常であれば10分足らずの道のりがやけに長く感じる。少しの振動でも強烈な痛みが走る。ブレーキで体が少し揺れるだけでも痛いのだ。
耐え続けること10分。病院に到着。母親が救急スタッフに事情を説明し、ストレッチャーを持ってきてもらう。このストレッチャーに乗り込むのも決死の覚悟。這いつくばるようにストレッチャーにのり、応急処置室へ。痛み止めの筋肉注射を打ってもらう。20分程激痛に耐えていると、徐々に痛みが和らいで来た。だがまだ動けるわけではない。
しばらく痛み止めの点滴もしてもらい、痛みが引くのをひたすら待つ。
そうしているうちに朝8時になり、整形外科の先生がみえた。搬送されてから4時間が経過していた。
問診と触診の結果、おそらくヘルニアであると思われるため、直ぐにMRI検査をすることになった。
MRIの結果、第五腰椎と仙骨の間に椎間板ヘルニアが発症。これが神経を圧迫し痛みが発生したとのこと。
先生曰く、ヘルニアの中ではそれほど酷いものではないが、出た瞬間の神経の触り方によっては激痛が走るらしい。おそらくそのパターンではないかとのことだった。
足先に感覚もあるし、排尿障害が出ているわけでもないので、直ぐに手術はせず保存療法で様子を見ることになった。
そうこうしてるうちに昼過ぎになり、気づくとあれほどの激痛は消滅し、我慢できるレベルにまで治った。なんとか歩くことも出来たため、その日はコルセットをもらいそのまま帰宅。紹介された地域の整形外科に行き、薬(リリカ、セレコックス)を1週間分処方されしばらくは安静にして、経過観察することに。
こうして激動の1日が過ぎ去った。
ヘルニア治療について
ここで少しヘルニア治療についてのおさらい。
ヘルニアは自然治癒する病気である。その為、保存療法が基本になる。日常生活に支障が出ないように鎮痛し、自然治癒を待つ。
そして多くの人が3ヶ月から半年程度で治癒する。
排尿障害が出たり、薬やブロック注射等の痛み止めが効かず日常生活に支障が出る場合に、やっと「手術」という選択肢が出てくる。
今回程の激痛でも基本的には数日から数週間で収まり自然治癒していくのを待つことが治療方法になるのだ。
僕も多分に漏れず、保存療法で様子をみることになった。
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