僕のヘルニア日記 -1章 プロローグ-
2018/11/7に発生した腰椎椎間板ヘルニアによる激痛により夜間救急に搬送されてから2018/12/17に内視鏡下腰椎椎間板ヘルニア摘出術を受けるに至った経緯を綴ります。
【目次】
僕のヘルニア日記 -1章 プロローグ- - Positive Mental Attitude
僕のヘルニア日記 -2章 ヘルニアの疑い- - Positive Mental Attitude
僕のヘルニア日記 -3章 夜間救急搬送- - Positive Mental Attitude
僕のヘルニア日記 -4章 保存療法- - Positive Mental Attitude
僕のヘルニア日記 -5章 激痛再発- - Positive Mental Attitude
僕のヘルニア日記 -6章 手術決断- - Positive Mental Attitude
僕のヘルニア日記 -7章 手術前日- - Positive Mental Attitude
僕のヘルニア日記 -8章 手術当日- - Positive Mental Attitude
僕のヘルニア日記 -9章 手術翌日- - Positive Mental Attitude
僕のヘルニア日記 -10章 退院前日まで- - Positive Mental Attitude
僕のヘルニア日記 -11章 退院- - Positive Mental Attitude
ブログを書く理由
これまでの経験をブログで公開してくれた先人たち。今回手術に至るまで、自分と同じ痛みを分かち合える数少ない経験談にどれだけ勇気付けられたことか。
そんな体験から僕も自分の経験をブログで公開することにした。
過去の腰痛歴
僕は2018年12月現在で40歳の男性だ。
これまでの腰痛歴
- 小学6年の時の応援団の旗持ちで人生で初めて腰痛になる
- この時に先天性の二分脊椎である事が分かる
- それ以降、年に2度くらいの頻度で腰痛が発生するようになる
- 前屈みが出来ない、仰向けで寝れない、階段が辛い程度の腰痛
- 20歳過ぎくらいからヘルニアの疑いによる坐骨神経痛が発生するようになる
- ただしレントゲン診断のみのためあくまでヘルニアの疑いに留まっていた
- 接骨院への通院や腰痛体操等で数週間で回復することが多かった
こんな感じのよくいるヘルニア腰痛持ちだった僕が手術に至るまでの経緯を綴った。
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僕のヘルニア日記 -11章 退院-
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僕のヘルニア日記 -10章 退院前日まで- - Positive Mental Attitude
退院
12/22(土)
朝10時に嫁が来た。
さあ、待ちに待った退院。
休日なので支払いは後日。
お世話になった看護士さんに挨拶し、病院を後にした。2週間ぶりに外の空気を吸った。知らない間に外はものすごく寒くなっていた。
家に帰ってから入院の荷物や溜まっていた郵便物を片付けた。ものの1時間くらい動いただけで足はパンパンになり息が切れた。
2週間まったく動かないとこんなに体力は無くなるものなのかとびっくりした。
その日の夜、約2ヶ月ぶりに家族全員が我が家に揃った。やっと変わらない日常に戻れた気がした。
結局、入院から14日で退院となった。今回は緊急入院から手術まで1週間あったので、予定入院であればおおよそ1週間で退院出来ると思われる。
退院の時の腰の状態はこんな感じ。
・傷口は触ると痛い。仰向け、背もたれ等は痛くて出来ない。
・腰にかなりの張りが残っている。
・前屈み、あぐらは出来ない。
・椅子なら30分程度であれば座っていられる。
・左の足先の痺れは残っている。
・臀部から脹脛にかけての痛みは全くない。
ヘルニアによる坐骨神経痛はなくなったと言っていい。手術は大成功だろう。その代わりに通常の腰痛が残っている。これは時間の経過と共に取れると思う。
ヘルニアの手術
若い時からヘルニア持ちであったが、今回の激痛を経験をしなければここまでヘルニアと向き合うことはなかっただろう。
一口に「ヘルニア持ち」と言ってもその痛みと辛さは雲泥の差なのだ。
激痛を経験しない慢性的な坐骨神経痛のみのヘルニア患者もいるだろうし(ほとんどのヘルニア患者はこれだと思う)、激痛で救急に運ばれ手術が必要なヘルニア患者もいる。
それくらい個人差があるのが腰椎椎間板ヘルニアだ。
僕の場合、結果的に手術をして良かったと思っている。
市民病院では腰椎椎間板ヘルニアの摘出術は年間15件程度しかないらしい。殆どは自然治癒していくのだ。
手術しなければならないほどの痛みが出てそれが何週間も続くことは稀のようだが、手術しても再発のリスクがないわけではない。
とにかく二度とあの意識が飛ぶほどの激痛は味わいたくない。出来る限り腰に負担を掛けないように過ごし、再発しないことを祈るのみだ。
最後に
岐阜市民病院の近藤先生、看護士さん、スタッフ、救急の先生、救急の看護士さん、救急のスタッフ。全員、本当に親切、丁寧で患者として安心して治療を任せることが出来ました。うつ伏せ寝が100時間以上続いた時はお先真っ暗という感じでしたが、みなさんのおかげでほぼ完全回復出来ました。心から感謝します。
1ヶ月後くらいに経過について報告する予定です。
僕のヘルニア日記 -10章 退院前日まで-
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僕のヘルニア日記 -9章 手術翌日- - Positive Mental Attitude
リハビリ生活
12/19(水)
寝起きから目眩がして気持ちが悪い。
吐くほどではないが、起き上がっていると辛い。
11時
リハビリの先生がみえた。
腰にコルセットを巻き、久しぶりにベッドから立ち上がろうとしたが、朝からの目眩のせいかフラつく。
歩行器を使えばなんとか立っていられる感じだ。
歩行器で病棟を二周歩いてみた。以前のような痛みはない。ただ腰から爪先にかけての痺れは残っている。しばらく歩くと左脚側面が突っ張った感じになる。痛いというほどではないが、違和感が凄い。久しぶりに動いたせいなのかまだ神経の圧迫が残っているのか原因は不明だ。
術後すぐということもありリハビリは病棟二周で終わった。
16時
常時の点滴は終了。定期の痛み止めと抗生剤のみに。ルートも右腕は外れて左腕のみに。
腰はヘルニアの痛みではない痛みがある。これが術後の痛みだろうか。前屈みや座ると痛いので基本横になっている。
夜には少し気持ち悪さも取れた。
12/20(木)
痛み止めと抗生剤の点滴も終了し、薬に変わった。
薬は手術前と同じトラムセットとロキソプロフェンだ。
特にやることもないので、ベッドの上で溜まっていた仕事をひたすらこなした。
昼過ぎにはリハビリ。今日は歩行器なしで歩く練習。思ったよりすんなり歩けたので階段の昇降もした。これも問題なし。
院内フリーの許可が出た。
早速約2週間ぶりに院内のコンビニに行った。少し社会復帰出来た気がする。
夕方に先生がみえて、リハビリが順調なこともあり土曜日に退院のお許しが出た。この長い病院生活もあと少しで終わりだ。
手術前からお通じがないので、夜に下剤をもらった。手術の時にお腹の動きを悪くする点滴を入れるから術後は出にくくなるらしい。
12/21(金)
今日はリハビリ以外は特に何もない。院内フリーなので院内をフラフラする。と言ってもやることはない。
昨日の下剤が効いてきて午前中に1週間ぶりくらいに排便。
昼過ぎにリハビリ開始。階段の昇降をもう一度確認。前日同様問題なし。
基本的にはベッドの上で仕事して時間を過ごす。座っていると腰は痛い。ただヘルニアの痛さとは違う。所謂一般的な腰痛の痛みだ。この痛みならそのうち良くなっていく気がする。
足先の痺れも多少残っているが気になるレベルではない。
そして夕方、シャワーの許可が出た。5日ぶりのシャワーだ。前と違い椅子に座っても痛くなかった。
明日は待ちに待った退院だ。
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僕のヘルニア日記 -9章 手術翌日-
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僕のヘルニア日記 -8章 手術当日- - Positive Mental Attitude
手術翌日
12/18(火)
痛み止めの点滴が効いていて、傷口もそれほど痛くない。あれほど痛かった尿道カテーテルも全く気にならない。
8時
水を一口飲んでいいという許可が出た。
特に吐き気もなく問題ないということでお昼ご飯の許可も出た。
9時
酸素マスクが取れ、90度までの座位の許可も出た。
今日はどうしてもやらなければいけない仕事があったので、嫁にパソコンを持ってきてもらい机の上でリモートで久しぶりの仕事をした。
座っていても全く腰が痛くない。嘘のようだ。
こんなに一気に痛みが消失するものなんだなと感激する。本当に手術してよかった。
12時
お昼は大好きなカレーだったけど、少し口にして残した。
何故ならまだベッドから動けないため、トイレに行けない。
流石にオムツの中で排便は恥ずかしいので、結局ご飯はあまり食べられないのだ。
14時
母と息子がお見舞いに。
息子はすっかり元気になっていて、骨折前よりパワーアップした感すらある。
自分も手術前よりパワーアップしないと。
18時
突然先生が来てドレーンを抜くことになった。ドレーンがあると寝返りしずらかったからすごく楽になった。
ドレーンを取った直後に友人がお見舞いに来てくれた。
今回の手術は出来る限り人には言わないようにしてたので、初めての家族以外のお見舞い。
すごくいい気分転換になった。
点滴は抗生剤(セファゾリンNa)と鎮痛剤(アセリオとフェンタニル)が定期的に入れられる。
もう車椅子での移動は大丈夫とのこと。これでご飯もちゃんと食べられるようになる。
明日からはリハビリが待っている。
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僕のヘルニア日記 -10章 退院前日まで- - Positive Mental Attitude
僕のヘルニア日記 -8章 手術当日-
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僕のヘルニア日記 -7章 手術前日- - Positive Mental Attitude
手術当日
12/17(月)
朝起きても絶食の為、やることはない。
午前中に嫁と息子が手術前最後のお見舞いに来てくれた。
流石にヘルニアの手術程度でもう会えなくなることはないけど、なんとなく会いたかったから嬉しかった。
本来は術後はHCUに入る予定だったが、重篤な患者で一杯のため一般病棟のナースステーションの真横の個室に移ることになった。
手術は午後から。時間は指定されておらずお呼びがかかったらすぐに手術室に向かえるように準備しておくように伝えられる。
13時55分
看護士さんが来て、14時5分に手術室に入ることが伝えられる。
思ったより急なんだなと思いながら言われるがままに手術着に着替え、紙パンツを履き、深部静脈血栓症予防の靴下を履き、ベッドのまま手術室に向かう。
手術室の直前まで嫁が付いてきてくれて、「じゃあ行ってくるね」と会話し手術に入った。
手術室では、慌ただしくいろいろなことが進められ、言われるがままに手術台の上に寝た。
口には酸素マスク、胸には心拍確認用のパッド、左腕には血圧計、右腕には点滴と酸素濃度計測器が取り付けられ、おでこには眠りの深さを測るためのパッドみたいなものがつけられた。先がチクチクしてて痛かった。
そうしているうちに麻酔の先生に「今から麻酔を入れます。」と言われた。
言われて数秒で目の前が霞み出した。
「これは麻酔が効いてきたんですねー」って喋ったのを最後に記憶はなくなった。
16時30分
意識を失ってから2時間半後、目が覚める。
口には呼吸器がつけられている。
「わかりますかー?」と誰かに聞かれ頷くと、すぐに呼吸器が外された。
「もう終わったんですか?」と聞く。
「終わりましたよ」と聞こえる。
2時間半、深い深い眠りについていて今目覚めたという感じ。
全身麻酔の凄さに驚いた。
執刀していただいた近藤先生にお礼を言い、手術室を後にする。
病室に戻って来ると、尿道カテーテルが入っている事に気づく。これが物凄く痛い。傷口の痛さより気になる。
いや、傷口も痛いのだが、種類の違う痛さだ。
看護士さんに外せないものか聞くが、術後は排尿機能がうまく働かなくなる場合があるらしく結局外すのは諦めた。
病室では酸素マスク、体内の出血を排出するためのドレーン、痛み止めの点滴、尿道カテーテル、血圧測定器、酸素濃度測定器が取り付けられている。
運よくNCUに入らなくて済んだため気が楽だ。
嫁と病室でテレビを見ながら過ごす。
18時
点滴で痛み止め(ロピオン精注)が入れられる。
この痛み止めのおかげで尿道の痛みは随分と和らいだ。
これを4時間おきに入れてくれるらしい。助かる。
あと少量だがフェンタルという麻薬も入っている。
その日の夜は目が冴えてなかなか寝られなかった。うとうとし出したのが1時くらい。
仰向けだとら背中の傷口が痛むため横向きが基本だが、同じ姿勢だと骨盤辺りが痛くなり、1時間おきくらいに目が覚める。それでも今までと違い坐骨神経痛を気にせず寝られた。
明日から少しずつ体の管が取れていくはずだ。
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僕のヘルニア日記 -7章 手術前日-
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僕のヘルニア日記 -6章 手術決断- - Positive Mental Attitude
手術前日
12/13(木)-16(日)
手術日までひたすら待つ。
ご飯も半分程度であれば食べれるようになった。
この間は一日置きに痛みが酷い日と軽い日を繰り返していた。
おそらく痛みが軽い日に仰向けで寝ると翌朝には酷くなり、うつ伏せで一日過ごすと翌日は軽くなるというのを繰り返していたのだろう。
12/14(金)には息子が退院した。
そして、手術前日12/16(日)には1週間ぶりにシャワーを浴びる事が出来た。流石に1週間頭を洗っていないと痒くて痒くて仕方なかったので生き返った気がした。
手術前日の痛みはこんな感じだった。
・左腰にピリピリするような痛みあり
・左臀部奥に痛みあり。触るだけでも痛い
・左臀部から脹脛にかけてじーんとした痛みが常にある
・脹脛から足の小指側にかけて痺れがある
・仰向け、横向きは出来ないこともないがしばらくすると痛みが強くなるため長時間は厳しい
・基本はうつ伏せが痛みが少なく楽
・座位は数分で痛みが出るため出来ない
・トイレまでは歩行器を使えば自力で移動できる
・ただ左足を地面に着くと脚全体に痛みが走る
・夜中は痛みで2時間置きくらいに目が覚める
こんな状態が手術すれば本当に一気になくなるのだろうかとその時は不安だった。
前日の夜21時から絶食が始まった。
その日の夜は特に緊張しているつもりはなかったが、なんとなく寝られなかった。
そして待ちにまった手術当日。
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僕のヘルニア日記 -6章 手術決断-
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僕のヘルニア日記 -5章 激痛再発- - Positive Mental Attitude
手術決断
12/10(月)
地獄の夜が過ぎ去り朝に。
今日はMRI検査の日。仰向けになれないためうつ伏せのままMRIを撮ってもらう。うつ伏せでも出来るらしい。
検査が終わりしばらくすると、先生がみえて、1カ月前ははみ出ていただけの髄核が完全に脱出しており、それが神経を圧迫してるんだろうと説明される。
ここで初めて手術を提案される。
安静にしていればいつかは治ると思うが3ヶ月先か半年先かは分からないこと、今の痛みが引いて歩けるようになるのに何週間かかるか分からないことなどを説明され、手術するかどうか判断してくださいと言われた。
先の見えない不安と、あの激痛再発の恐怖から即答で手術をお願いした。
痛みで動けずご飯が食べられないため、この日から水分補給用の点滴(ピカネイト輸液、ヴィーンD輸液)を開始した。
手術について
12/11(火).12(水)
相変わらずうつ伏せ以外の姿勢が取れないため一日中うつ伏せで過ごす。
手術をお願いしたこともあり、担当医が脊椎専門の近藤先生に変わった。
近藤先生は日本脊椎脊髄病学会の指導医、日本整形外科学会の認定脊椎脊髄病医に認定されている先生だ。
夕方に先生がおみえになり、再度手術でよいか念押しされた。
「お願いします」と答えた。
手術について以下の説明があった。
・手術日は6日後の12/17(月)
・全身麻酔で行う
・内視鏡を背中側から侵入させ、背骨を削り、飛び出たヘルニアを切除する
・傷口は2センチ前後
・手術自体は1時間弱
・手術室に入ってから出るまで3時間くらい
・術後は1週間くらいで退院出来る
・ほとんどの人は術後すぐに痛みは消失するが、痺れは残る場合がある
・痺れも時間の経過と共に消失する場合が多い
ついでに先生に痛みが全く良くならないことを伝えると、薬を変えてくれることになった。
これまでは、リリカ、セレコックスのセットだったが、12日の夜からトラムセット、ロキソプロフェンに変更になった。
点滴も変わったようだった。
その日の夜、いつもより痛みが少なく何日かぶりにまとめて4時間くらいは寝ることが出来た。
翌朝起きると明らかに今までより痛みが少ない。
試しに寝返りをうってみると多少の痛みがあるもののなんとか横向きになれた。
かれこれ110時間ぶりのうつ伏せからの解放だ。
その日は横向き、仰向け、立つのは大丈夫。座位はダメ。という状態まで一気に回復した。
そのおかげで5日ぶりにトイレ(大便)にも行けた。
暗闇から抜け出し、一気に世界が変わったように感じた。
あとは手術の日を待つだけである。
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僕のヘルニア日記 -5章 激痛再発-
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僕のヘルニア日記 -4章 保存療法- - Positive Mental Attitude
激痛再発そして救急外来へ
12/8(土)
土曜日ということもあり息子の付き添いの交代。
息子の大腿骨骨折もだいぶ良くなり、ぎこちないが歩けるようになってきたようだ。歩けるようになるといろんなところに行きたがる。
ナースステーションの横のご飯の献立を選ぶ端末が気に入ったようで、切り株の椅子に座ってタッチパネルの画面で遊んでいた。
そろそろ病室に帰ろうと思い、椅子から下ろすために息子を持ち上げた瞬間、腰に今までとは違う違和感が。
その時は「あっ、ヤバイかも」程度だった。その後も普通に歩けたし、そこまで重症という感じもしなかった。
ただいつもに比べると明らかに腰に違和感があった。
夕方嫁が用事を済ませ病室に戻ってきたため、付き添いを交代し、家に帰ることにした。
その時はしばらく横になって休めば良くなるだろうと高を括っていた。
横になり、うとうとしながら休むこと2時間くらいだろうか。
その日は夜も付き添いで泊まる予定だったため、そろそろ起きないとと思い、立ち上がろうとした瞬間に腰に激痛が走る。
これは明らかにおかしい。1ヶ月前の激痛ほどではないがまともに歩くことは出来ない。
痛み止めを飲もうとキッチンに行きたいのだが、辿り着くのが精一杯。なんとか痛み止めを飲み、嫁に電話。
とてもじゃないが夜の付き添いは無理そうであることを伝え、再度横になる。
そこから2時間ほど安静にしたが良くなる気配はない。
一か月前の激痛の記憶が蘇る。まだ少しでも動けるうちに実家に帰った方がいいと決断し、母親に迎えに来てもらうことに。
とりあえずその日は実家に泊まったが、夜も痛みでほとんど寝ることは出来なかった。
翌朝再び緊急外来へ
12/9(日)
なんとか一晩痛みに耐え、朝になり、母親に緊急外来に連れて行ってもらうようにお願いする。
ただもうこの時には立ち上がることさえ出来なくなり、車までたどり着くことすら出来ない状態。
少しでも起き上がろうとすると腰に激痛が走る。前回の激痛と同じだ。ただこの痛みから解放されるには病院に行くしかない。
しかし玄関までは行けそうにないので、リビングの扉のすぐ近くに車をつけてもらうように母親にお願いする。
腕から下を少しでも動かすと背骨の神経が抉り取られるような痛みが下半身に走る。
匍匐前進ならなんとか行けると覚悟し、庭を這いつくばってなんとか車に乗り込み市民病院に直行した。
病院に到着すると、前回と同じくストレッチャーで運んでもらい、痛み止めの点滴をしてもらう。少しだけ痛みが和らいだ気がするが全く起き上がれる気配はない。
緊急外来の先生には痛みが和らいだら帰るように言われたが、そんな望みはゼロに近いことを伝えた。
しばらくすると整形外科の先生がみえて、今日は入院し、明日MRIを撮って再検査しようと提案される。
是非そうして欲しいですと伝えその日は入院することになった。
病室に入ったのがお昼過ぎ。うつ伏せ状態から全く動くことが出来ない。
夜には病院食が出たが、起き上がることも出来ないし、トイレにも行けないため食べることは出来ない。
夜中もとにかく痛みが酷くて全く眠れない。何度かナースコールし、点滴(アセリオ静中液)、座薬、筋肉注射、薬(リリカ、セレコックス)とあらゆる痛み止めを駆使して痛みを和らげてもらう。
しかし痛み止めは殆ど効かず、激痛と闘いながら時間だけが過ぎて行く。
そんな辛い夜を過ごした翌日、遂に手術を提案されることになる。
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僕のヘルニア日記 -6章 手術決断- - Positive Mental Attitude